前回までのあらすじ
「大喰らいの人魂」による洗浄の度に降り注ぐ水。
強制的に「ブランク」を引かされ、あいこによる繰り返しが終わらない。
三角に残された道は、もはや「溺死」のみ───
本編あらすじ
細かい岩が堆積した溝を確認するも、どこにも排水口を見つけられない三角は激昂する。
「なぜこうなることがわかる!?」
三角が、真経津の最初の策を破らなければ成立しない計画だ、と。
真経津は落ち着いて答える。
最初にじゃんけんをした時点で、自分が三角に読み勝つのは不可能だと確信した。
だから必死でゲームの罠を探し、唯一三角が見落としそうなモノを見つけた。
読み合いが強く、”模倣”のため真経津ばかりを見ている三角に必要のないモノ───オブジェクトの振動の違い。
三角は「選択の積み重ねが人間を構成し、同じことをすれば他人を理解できる」と語っていたが、人が最も多くする選択とは、「選ばない」こと。
夕飯にハンバーガーを食べる。それは真似できたとしても、「ハンバーガー以外を”食べなかった”理由」は真似できない。
なぜなら、本人ですら理由が分かっていないから。
「だからボクが選んだ宝にボクが選んだ言葉 そしてボクが選んだ策を用意すれば」
「君はボクを好き勝手に理解してくれる 他の友達と同じように」
ふと三角は、自身の「友達」を見渡す。
「……」「誰だお前ら?」
「”なぜこうなるとわかった?”って聞いたね?」
「それは完璧な理解を求め続けた君には 受け入れられなかったモノのおかげだ」
「ボクは 君に期待したんだよ」
真経津がどれほど策を練っても、三角は必ずそれを破ってくれるはず。
「期待」や「信頼」を「妄想」と言い切る三角は、自分が誰かに「期待」されているなんて考えもしない。
「だからボクは 1つ目を君が読んでくれる前提で2つ目の策を用意したんだ」
「三角さん これでわかったろ?」
「鏡の中に 君を助ける答えはない」
力が抜け、椅子にへたりこむ三角。
だがゲームはまだ決着がついておらず、次のカードが台から排出される。
「…期待か」
「面白い考えもあるもんだな」
「話さないか? もう少しだけ」
「うん 喜んで」
そこから、実に17回目に至るまで、2人は同じ手番を繰り返した。
真経津は「ブランク」、三角は3種の宝を取得───
三角を殺すための水位が上がり続ける中、それでも2人は、穏やかに、楽しげに会話を続けていた。
とうとうゲーム台も浸水し、机の隙間から水が流れていかないことを確認した三角は、ここでタイムアップ。
「楽しかったよ 思ってたのとは少し違うけどな」と、わざと3分の遅延を起こした。
「コッチは思ってた以上だったよ 君に会えてよかった」
反則負けとなった三角の部屋に、毒が流し込まれることに。
「真経津」
「わかり合うってことに 理屈はいらないのか?」
「全然」
「みんな希望を言ってるだけだよ」
「無責任な奴らだな」
「でもその方が楽しそうだ」
笑顔のまま、毒を浴びる三角。
「初めてだよ」
「オレに期待してくれた人間…」
その刹那、三角は幼い日の出来事を思い出した。
スパゲティを割ってしまい、母に包丁を突き立てられ。
”模倣”のために片付けを手伝っていた時───母は息子を抱き締めた。
「…ごめんね」「ごめんなさい 誉…」
「そうじゃないのよ あんなことを言いたかったんじゃない」
「アンタはみんなとは違う」「でもね」
「それを 悪いことだと思わないで」
「ああ…だからか」「オレが勘違いしてた」
「二人目だ オレに期待してくれた人は」
感想
"排水溝"は本当になかったのか?
冒頭のシーン、三角さんが排水溝を調べていました。
そして、岩の欠片が堆積して水が流れ出す場所が全く見つからない事に呆然としているように見えます。
…なるほど。
あそこは本当に、ただの"溝"だったんですね。
流れてくる水や落ちてくる岩が、ちょっと避けられるだけの。
…すみません、「何を今さら当たり前の事を」な事を言ってますが、「"溝"=排水口がある」という思い込みがあったので、改めて驚いていました。
「三角 誉」という男の最期
眞鍋先生の時もそうでしたが、ワンヘッドギャンブラーが退場する瞬間は本当に美しいですね…。
名誉もお金も求めていない、賭場に「己が人生を賭けて得たい答え」を求めている彼らが、ようやく答えを見つけたからなのでしょうか。
「その方が楽しそう」───「"共感性"がない」と言っていた三角さん本人の口から、「楽しそう」なんて言葉が出てくるなんて。
そして死の間際、思い出した母親の言葉。
ずっと顔が見えていなかった母親の、優しい表情。
「期待」、「信頼」───それはすなわち、相手への「愛」。
「ひとりぼっちで死ぬしかない」と言われていた三角さんの傍に、ようやく顔が見えた母親が寄り添う。
いや、お母さんは、ずっと傍にいてくれたんでしょうね…。
信頼(コミュニケーション)
コミュニケーションとは何なのか。
その答えの一つを描いたのが、「This コミュニケーション」だと思います。

よく知らない方のために簡単に解説すると、「忍者と極道」と並んで「コンプラ的にダメだからアニメ化不可」と言われている作品です。

でも忍極はアニメ化するんですよねェ…。真実(マジ)で??
主人公のデルウハ殿(上の表紙の人)の人格が、徹底的に終わってるんです。
なんかもうね、Fate/stay nightの士郎くんが原作者に「人間のフリをしたロボット」と評されてますが、デルウハ殿は「人間性皆無の100%人間」。
コレネタバレになっちゃう?
ダメな人は以下飛ばして共同体御手洗の記事に行ってほしいんですが、
デルウハ殿が望む事は「毎日食事をすること」。
いやまあこんなの誰だって望む事ですが、デルウハ殿は「食事すること」への執着がとんでもない。
周りの人間への愛情・優しさ・思いやりがゼロ!!!
生き残るためには、利用できる人間相手に優しさも見せますが、それはあくまでもフリ。部下も何度も殺すし。
「いやいや、そんな事言ったって、なんだかんだで最後は優しさをみせるんじゃないの?」
見せないよ。
皆無だよ。
読者は全員、100%理解します。この男に「優しさ」はない。
ここまで徹底的に主人公の人間性を否定したのは、それがひとえに、「コミュニケーションとは何か」の答えになるから。
本気の本気でネタバレになるので嫌な人は以下略
デルウハの死の際、間に合ったハントレスたち。
呼びかけに応えて「反射」で握った手の強さ。
それを「愛」と勘違いして、ハントレスたちは戦いへ飛び立っていく。
これは、ハントレスたちがデルウハを「信頼」して、「期待」したからこそ起きた勘違い。
「コミュニケーションなんてそんなものよ」と、そう語るこのマンガ。
三角さんが策を見破ると「信頼」して「期待」した真経津さん。
他と違っても良いのだと、あなたを「信頼」して「期待」していると伝えてくれていたお母さん。
コミュニケーションとは、相手を完全に理解する事にあらず。
ふわふわとして、不確かな、「誰か」と「誰か」との間に生まれるモノ。そう、この2作品から思わされました。
共同体(ハイブ)御手洗…来るか?
よく分かりませんが、眞鍋先生をスタンド(かペルソナ)として取り込んでいた御手洗君。
となると、三角さんも…?と想像するのは容易い事です。
そしてそうなった場合、ちょっと御手洗君の進化がヤバイ事になると思うんですよ。
いやそりゃそうでしょ、眞鍋先生+三角さんやぞ、と思うでしょうが、まあちょっと待ってくださいよ。
今回の、真経津さんのセリフを思い出してください。
「”選ばない”っていうことが 人が最も多くする選択だから」
「選ばなかったモノ一つ一つに "なぜ選ばなかったか"なんて理由を用意してる人はいない」
私はここを読んで、かなり初期(2巻・気分屋ルーシー戦後)の、御手洗君のセリフを思い出しました。
「僕は…嫌いなモノがなぜ嫌いかは説明できるのに 好きなモノがなぜ好きかをうまく話せません…」
その後「あの場所(賭場)で勝負を見るのはとても好きです」「楽しみ抜いた果てに負ける 真経津さんの顔を見てみたい」と続くわけですが。
これ、「選ばなかったモノ=嫌いなモノの理由を説明できる御手洗君」に「"選ばない"行動の真似が出来ない」三角さんが入っちゃわないですか?
分かりますか???
完全無欠の三角さんが、御手洗君の中に入ることで誕生しちゃいませんか???
当然、御手洗君の中に顕現する三角さんは、今回憑き物が落ちた三角さんとは別だと思いますが…。
人を取り込みまくって完全無欠になろうとしていた三角さんが、他人の中に入ることで完成されるとしたら、それは凄い皮肉だなあと思っちゃいました…。